開発者の John Calhoun 氏は、1990 年代半ばに Mac のカラー ピッカーに取り組んだときの話を語ります。その中には、デザインやマーケティングからの監督なしに独自にクレヨン カラー ピッカーを追加した経緯も含まれています。
正直に言って、当時Appleで働いていて良かった点の一つでした。エンジニアたちが会社を操っていたんです。先ほども言ったように、HSVピッカーを書いたのは、アーティストにとってより直感的なカラースペースだと思ったからです。HTMLカラーピッカーを書いたのは、Webの登場があったからです。そしてクレヨンピッカーを書いたのは、まさにAppleの真髄だと思ったからです。HSLやRGBといった、ちょっとオタクっぽいカラースペースを使っていました。私たち一般人はクレヨンの箱で色を選んでいました。
そして驚いたことに、Appleはカラーピッカーを全部出荷してしまったのです。マーケティング担当者やデザイン担当者からカラーピッカーの要望は一度もありませんでした。しかし、私たちエンジニアはプログラマーであるだけでなく、ユーザーでもあり、他のMacintoshユーザーが何を求めているかを直感的に理解していたのです。自分たちが何を求めているかは、自分たちが分かっていたのです。私は、自分が求めていたであろうものを作っていたのです。
今では、そういうものを作りたければ自分で作らなければなりませんが、当時でさえApple社内には完全な自由はありませんでした。カルホーン氏の話の続きでは、カラーピッカーに数行の詩を詰め込んだイースターエッグを入れたことで、彼が解雇寸前まで追い込まれた経緯が語られています。ただし、クレヨンが摩耗してしまう別のイースターエッグは生き残りました。Mac OS Xの初期のある時点で、Appleはクレヨンの色をカスタムカラーリストに移し、グラフィカルピッカーを色鉛筆に変更しましたが、名前はそのままでした。
関連する歴史的話として、Calhoun が Apple に入社する前に Casady & Greene から発売された初期の Mac ゲーム Glider を覚えている方もいるかもしれません。
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